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ぐるたくでご案内する壱岐の歴史

壱岐の遺跡はこの時代のもの、年表で確認!

いろいろ見ても、これっていつの時代の?あれとこれとどっちが先なの?ということが分からないこと多いですよね。
例えば古事記と魏志倭人伝。歴史に詳しい方ならすぐ分かることでもずいぶん昔に学校で教えられたことでも
忘れてしまってます。   ちなみに古事記は大和朝廷が自分たちの王権を正当化するために書いたものですから
魏志倭人伝よりかなり後のものです。

ただし、古事記に書かれた内容は 日本がまだドロドロした陸地ではない時代に神様がこうして国を作った・・・
ということがかかれていますので魏志倭人伝より古い書物かと思ってしまいますね。

壱岐は四国、隠岐、九州に続いて生まれたイザナギさんの子ですが島の名前が「天比登都柱・あめのひとつはしら」
という、ほかの子供たちと違った特別な意味のある名前になっています。

天の沼矛(あめのぬぼこ)を授けられた、イザナミ・イザナギさんは天の浮橋にお立ちになり、そのドロドロした海を
かき回し矛を引き上げたときに、矛の先からしたたり落ちた海水からできたのが淤能碁呂嶋(オノゴロ島)です。

その嶋に降りて、天の御柱を立ててその周りを廻って子供たち(大八島)を作った

天の御柱の島→天比登都柱→壱岐 ということになるわけです。

学説として確定しているものではありません。何しろ日本の国造り神話、神代の昔話ですから。

イザナミ・イザナギ さんより前は神様は一人で生まれていましたが、イザナミ・イザナギさんからは男の神様と女の
神様が結ばれて子供の神様ができることになります。

私には足りないところがある、僕には余ったところがある・・・・この神話の続きは周遊途中の笑い話ででも♪

 

壱岐の歴史のお勉強

赤の太字◎付きは観光史跡としてご案内しています
皆様をご案内する史跡はこの時代のものなんです
古代から中世日本の歴史舞台だったのです!
どうしてもここを見たい!というポイントはお知らせください。
モデルコースをアレンジして組み入れます。

石器時代



●ステゴドン象化石
約1200万年前〜200万年前・中国大陸からインドにかけて広く分布。
壱岐の化石→500万年前
◎ステゴドン象の模型⇒右参考画像
縄文時代

12000年前ごろ〜
紀元前5世紀



(紀元前3世紀〜紀元4世紀)
●カラカミ遺跡(勝本町立石東・立石仲触)
●原の辻はるのつじ遺跡(芦辺・石田町)
一支國博物館・復元公園 ⇒右参考画像
   
◎『魏志倭人伝』に一支國の記述⇒右参考画像

弥生時代

紀元前5世紀〜
起源(西暦) 200年ごろ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(紀元3世紀末〜7世紀)
小さな島に、確認されている古墳が256基存在します。
主に円墳・横穴式石室です。
長崎県全体の60%以上に相当する数です。
この数百年、壱岐に強大な権力を持った勢力がいたということを示しています。

主な古墳MAPでは壱岐中央部「壱岐王家の丘」

勝本町
◎双六そうろく古墳 (県下最大級)⇒右参考画像
立石東触・前方後円墳では県下1位・長さ91m

●対馬塚つしまづか古墳
立石東触・前方後円墳・県下4位・長さ65m
        
◎篠塚ささづか古墳
百合畑触・円墳・径66m・亀形金銅製馬具出土

◎掛木かけぎ古墳
布気触・円墳・径23m・石室13.6・家形石棺

◎百合畑(ゆりはた)古墳群
百合畑触・前方後円墳全長26.5m・21・20二基・18他

芦辺町
◎鬼の窟 おにのいわや古墳
国分本村触・円墳・径45m・横穴式石室→国内12位
                 九州2位
●大塚山おおつかやま古墳
深江栄触・円墳・径14m・竪穴系横口式石室
 

内部の石組みを見ることができるのは
鬼の岩屋・掛木古墳の二箇所
⇒右参考画像

飛鳥時代

590〜

(6世紀末〜・聖徳太子摂政593年頃)
●大宰府管下に入る。 
●防人・烽台 対馬・壱岐・筑紫等に置く。

奈良時代

710〜


 

 

 

 

 

(和銅3・710年〜)

●古事記編纂
稗田阿礼が暗誦していた『帝紀』(天皇の系譜)・『旧辞』(古い伝承)を太安万侶が書き記し、編纂
壱岐は「天比登都柱」 と特別な呼称で記されている

●日本書紀編纂
●壱岐郡・石田郡の郡境を定める。(天平1・729)


●遣新羅使(天平8・736)
◎雪連宅満(ゆきのむらじやかまろ)の碑
遣新羅使の一行に加
わり病死、のち壱岐の石田野に埋葬する。
 『万葉集』巻15に挽歌9首あり。

国分寺 壱岐に国分寺の設置が決定。
壱岐は国分寺を新たに建立せず、壱岐氏の氏寺をあてる。

平安時代

794〜

 


(延暦13・794〜)
●防人を置く(承和2・835)⇒
新羅人の来航に備え、壱岐島人(防人)をおく

●新羅人の来襲
●式内神社の決定
『延喜式神名帳』完成。壱岐24社

●刀伊(とい)の賊
刀伊人(女真族)襲来、、島民多数を殺害・略奪する。

鎌倉時代

1192年〜



 

(建久2・1192〜元弘3・1333)
●太宰少弐の管轄下に
●文永の役(文永11・1274)元軍襲来⇒右参考画像
●弘安の役(弘安4・1281)元軍再来襲

元寇との攻防に功績のあった松浦党の進出が激しくなる。
松浦党築城

元寇史跡
 新城神社
 千人塚
 元の船の碇
 少弐資時の墓
 壱岐神社

南北朝時代

室町時代

1338〜

(元弘1・元徳3・1331〜元中9・明徳3・1392)
建武の新政(建武1・1334〜建武2・1335)


(延元3・暦応1・1338〜)
●足利尊氏、全国に安国寺を建立。
海印寺を壱岐安国寺となす。⇒右参考画像

●倭寇、中国沿岸等を荒らす(嘉吉3・1443)
壱岐・対馬・松浦の倭寇が中国の沿岸を襲う
壱岐、松浦氏の支配下へ

安土桃山時代

1575〜



(天正1・1573〜)
●武末城(勝本城)築城(勝本城は名護屋城の出城)
◎勝本城山公園
◎聖母神社
●文禄の役(文禄1・1592)
 秀吉、朝鮮出兵

●慶長の役(慶長2・1597)秀吉、再度出兵

江戸時代

1603〜

 

 








(慶長8・1603〜)
●朝鮮通信使(慶長12・1607)
  第一回朝鮮通信使、対馬を経て勝本に来着
  (以後、12回の使節が来る。)

●遠見番所・烽台 岳の辻と若宮島に置く。

捕鯨最盛期⇒右参考画像
 鯨ひとつで七浦潤うといわれた。

 九州北部、西日本各地から壱岐に鯨漁に来ていた。


『春一番』の発祥(安政6・1859/2/13)
郷の浦町元居の漁船、五島沖で強風により遭難し、五十三人死亡。
この風を「春一はるいち」と呼び、怖れる。『春一番』の語源となる。
◎春一番の塔

 

明治





明治時代(明治元年9月8日、慶應を明治と改元。1868年)
版籍奉還(明治2年)→平戸藩主は平戸藩知事へ


●長崎県へ(明治4・1871)
廃藩置県 平戸藩を廃して平戸県へ
長崎・平戸・島原・福江・大村を合して長崎県へ

壱岐観光マップをご用意しています(PDF A3サイズ)
タクシーでゆく壱岐の歴史を物語る観光史跡
ステゴドン象(再現模型)
タクシーでゆく壱岐の歴史を物語る観光史跡
環濠集落国府 原の辻
タクシーでゆく壱岐の歴史を物語る観光史跡
横穴式古墳 鬼の岩屋
壱岐観光タクシーでまわる歴史の島、壱岐 魏志倭人伝
魏志倭人伝・一支國の記述
タクシーでゆく壱岐の歴史を物語る観光史跡
タクシーでゆく壱岐の歴史を物語る観光史跡
原の辻遺跡・一支國博物館
壱岐の観光、歴史
タクシーでゆく壱岐の歴史を物語る観光史跡
元寇襲来・元船の碇石
タクシーでゆく壱岐の歴史を物語る観光史跡歴史資料
足利尊氏の安国寺
タクシーでゆく壱岐の歴史を物語る観光史跡
クジラ組捕鯨絵図
 

 

歴史遺跡中心のコースご案内

神話と歴史舞台を訪ねるコース

古事記に「天比登都柱」と記された壱岐、神々の島に残る神社と、巨石を組んだ古墳などを中心にご案内します。
国の重要遺跡原の辻(はるのつじ) より発掘された出土品は「一支国博物館」に展示されています。
環濠集落を復元した公園もすぐ近くです。

歴史探訪基本コース・神々の社コース・人気の神社・古墳コースなどが人気です。
なお、各施設の入園料・駐車料金等は現地で実費精算となります。


 
所要時間
車種
料金(円)
周遊ポイント
歴史探訪基本コース 約3.5時間 小型
大型
17,200
26,800
郷ノ浦−壱岐郷土館−原の辻遺跡(一支国博物館・王都復元公園)−安国寺−小弐公園・壱岐神社−月読神社−国片主神社−鬼の岩屋-猿岩-郷ノ浦
神々の社コース 約3.5時間 小型
大型
17,200
26,800
郷ノ浦−興神社−月読神社−国片主神社−壱岐神社−箱崎八幡-聖母宮−住吉神社−天手長男神社−郷ノ浦
人気の神社・古墳コース 約3.5時間 小型
大型
17,200
26,800
郷ノ浦−岳ノ辻−塞神社−原の辻遺跡(一支国博物館・王都復元公園)−安国寺−月読神社−鬼の岩屋-双六古墳-掛木・百合畑古墳−郷ノ浦

年代表(年表)と照合していただければお分かりになりやすいと思いますが
壱岐の歴史はまさに、古代から中世の日本の歴史そのままが島のあちこちに名残をとどめています。

アマテラス様の弟ツキヨミ様はいつの間にか日本の神話から消えていますがツキヨミ様こそが生産・豊穣の神様。
イザナギ・イザナミ様が関係して生まれた姉弟です。すぐ下の弟がスサノオノミコトさんです。
昼(陽)をアマテラスさまが、夜(陰)をツキヨミ様が治めることになったはず・・・なのに。 


その後の経過はともかく、 壱岐に祭られた月讀神社のご神体が分祀されて京都の月讀神社へ、そして伊勢神宮はじめ、日本各地の月讀様へと広がっていきます。


しかし、誠に申し訳ないのですが、現在の壱岐の 月讀神社 はあまりに小さく、あまりに質素な神社です。
どうぞ、荘厳な神社であるとの過大な期待は持たないでください。
何事も、本家オリジナルより分家、子孫が栄え、栄華をきわめるもの。
本家本元はいたって質素 との慣わしのとおりです。

現在の月讀神社の地は、何度か遷地したとも言われています。
どうやら、もともとは今の男岳山にあったのではないかと言われますが、 神道発祥の月讀神社 の元宮であることは間違いないようです。

こうした歴史遺産。史跡を解説しながら熟練ドライバーがご案内します。
貸切タクシーをご利用ください。





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